東郷平八郎家へりんごをお贈りしたときの礼状です

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りんごのことわざ

1日1個のりんごは医者いらず

百年前のイギリスの本に書かれた言葉です。昔からりんごは健康に良い食べ物とされていました。ビタミンC、ペクチン、カリウム、りんご酸などの健康のもとが、りんごにふくまれています。

りんごを磨く

ごますりの意味。小学校で先生に気に入ってもらうためにピカピカに磨いたりんごをプレゼントするのが流行ったことに由来しています。

りんごはりんごの木の近くに落ちる

子どもを見れば親がわかる、ということ。子どもは親に似たりよったりで、飛びぬけて優秀な子どもはできないという「蛙の子は蛙」と似た意味です。

赤いりんごは虫食いりんご

見た目が美しい赤いりんごは熟れているけれど、なかを虫が食っていることがある。見た目や外見だけで判断してはいけないという例えです。

赤きりんごに投石する者後を絶たず

熟して赤くなったりんごに石を投げ、木から落として食べようとする人が続出する。りんごが熟しているからこその行為で、青いままなら石を投げられないことから、秀でた人は憎まれやすいという「出る杭は打たれる」に通じます。


東郷平八郎家の礼状


わが家のりんごを東郷平八郎家へお贈りしたときのお礼状があります。
宛先は成田良策(曾祖父)で、差出人は東郷家の執事の方です。

<手紙原文>

拝啓初意被得候処
(はいけい はじめていをえられそうろうところ)
弥御清祥被成御座候
(いよいよ ごせいしゅおござなられそうろう)
便書之至り奉存候
(びんしょのいたり ぞんじたてまつりそうろう)
陳者御厚意ヲ以
(のぶれば ごこういをもって)
御地産之林檎
(おんちさんのりんご)
御送り被成下忝
(おおくりなしくだされ かたじけなく)
御請致候間
(おうけいたしそうろうあいだ)
茲に右御礼
(ここに みぎおんれい)
申上度如此御座候
(もうしあげたく このごとくござそうろう)
  敬具
十一月廿一日 東郷執事

成田良策殿
  侍史 (じし)


 曾祖父(良策)が東郷平八郎元帥にお会いしたときのことを「成田良策遺稿集」の随感録に書かれています。

 軍神東郷元帥について

 東郷元帥を知る方は口を揃えて、元帥は謹厳重厚特別の威厳をお持ちのお方で、至誠一貫お国のためお働きになられたお方で全く神のような人格者であると申している。事実私は元帥の前にいると自然と頭が下り、姿勢を正し神前に拝するようにならざるをえないありさまでした。元帥はつねに薩摩ガスリの着物に木綿の袴で端正質素な服装で人に接せられ口数の少なく要点をのみ話されるお方であった。
 私が初めて元帥とお会いしたのは大正十四年の春、川村元帥を経てお預けした御揮毫を頂戴したお礼に参上した時である。元帥は心良く応接間に通され、例の端正な態度で接していただき全く神の前に伏する思いであった。その後上京するたびごとにお邸へ伺いしてお会いたし、数回にわたり御揮毫を頂戴いたし、ただただ感激したものである。
 元帥の幼年幼年時代には顔だちこそ母親に似て優しいが、眼のするどい強情で我満強い、そして断じて負けず嫌いの少年であった。元帥は八歳の頃から兄達とともに毎朝短袴を身につけて、午前六時の鐘の鳴るのを待ちかねて西郷吉次郎(隆盛の弟)先生のもとに習字の稽古をして、午前八時朝食を済ませると友達と漢文の読習、それが終ると江戸川に走って水泳の練習、あきると河原に行って相撲をとったが、その好敵手には後の黒木大将等もいたといわれている。やがて午前二時には演武館に行って、剣道を学び、家に帰ると木刀や棒をもって切込みの練習、夜には読書、特に赤穂義士伝、太平記、曽我物語など勇壮なものを好み、また軍書の研究に夜を更かし、という日常生活で全くの努力家であったといわれている。
 また幼い頃、近所のお祭りの時、母は兄と仲五郎(後の平八郎)を連れて親戚に行こうとしたところ、兄は弟の仲五郎が行くなら、わしは行かないと云うので、弟の仲五郎が、わしは行かないから兄さん行けというと、兄は安心して行かれたが、仲五郎は裏口からこっそりでて近道を走って、先廻りをしてきちんと先方に着いていたということがある。また或る時、田圃道を歩いていたら、小川に鰻がいるのをみて、捕うとして堤の水を止めて何時間もかかって月が出る頃、その鰻をとったということである。元帥は幼年時代から敏捷で負けず嫌いで、また一度決心したら目的を達成しなければ止まないという強情一徹の少年であった。
 明治三十六年、日露の風雲急なる十月、山本海軍大臣より、至急上京せよとの命を受けて上京したところ、連合艦隊司令長官の内命を受けよとのことであった。東郷元帥はロシア海軍について身命をつくして過去十年間苦心研究されたといわれているが、その結果日本海海戦には、固い信念をもって作戦を練られ、実行した。この戦勝について、東郷元帥は、人間と生れて、これ以上幸福はないと、しみじみ感想をもらしていらっしゃった。山本海軍大臣は、東郷は運のひじょうに強い方だから司令長官に推したと語られたとのことである。
 明治三十七、八年戦役の最後の勝敗を決せんとして、日本海軍を打ち破って日本海の制海権を制して、最後の勝利をえようとする露国海軍は、三十八隻からなる大艦隊をはるばる東洋に廻航させた。三十八年五月二十七日、対馬海峡にあらわれた連合艦隊司令長官海軍大将東郷平八郎は「皇国の興廃此の一戦にあり各員一層奮励努力せよ」との信号を旗艦三笠に高くかかげて全軍を激励した。将兵の意気は大いにあがり互にはげみあって、きっと敵を全滅させようと誓った。折から風は強く波は高かったが、わが軍は奮戦して敵を圧迫し、ついに敵艦十九隻を打ち沈め五隻を捕え、その司令官を虜にし、残りの軍艦も大破し、多くは南方へ遁走、目的地ウラジオストックに入ったのは、僅か小艦一隻であったという。しかもわが軍に大破した軍艦もなく、世界の海戦史上これまで例のない大勝利をえたことは、司令長官たる東郷大将の偉大なる功績であると信じている。全世界の人々は東郷元帥を英国の名提督ネルソン以上の名将と讃えました。
 さて、私は最初に東郷元帥にお会いしたのは大正十四年の春であったが、その後たびたびお伺い、お会い申した。ある時、日露大戦に対馬海峡を敵がくると判断せられ、敵艦を待ったのは何故ですか、とお聞きしたのに、敵も大艦隊を率いてくるのであるから、あの海峡を通る外はない、私は初めからそう信じていた。また誰が司令長官であってもあのような大勝利をえたことで、けっして自分の功績ではないと申されました。誠に己れを誇らないことに全く驚き入った。また戦闘中、あの砲煙弾雨のなかで、司令塔にも入らず艦橋に毅然とお立ちになっていらっしゃたのは何ゆえですか?とお尋ねしたところ、戦況が良く見えるところであって、弾にあたる時はあたるもので、ただ神助を願っていたとのこと。全く元帥は部下から再三司令塔にお入りになることを励められたが、泰然として起立して、最後まで艦橋におられ、しかも一米近くに敵弾破裂しても、身を一歩も動かさず勇然としていたという。激戦二時間以上過ぎて司令長官がその場をはなれた時には、その足跡だけ白く残り、甲板は水に浸って真黒であったということを話されたお方があった。元帥こそ慎重大胆、己れの生命を国家に捧げて奮戦されたと思われる。
 その後昭和四年の春かと思いますが、私は元帥邸を訪れ、いろいろお話した折に、元帥は自分は青森へ二度行ったことがある。一度は中尉か大尉の時で、その時は柳のある町で一夜過ごしたことがあるが、あの町は今どのようになっているかとのことであった。元帥はすでに八十四歳の頃と思いますが、真面目に昔話を語られ、その飾り気のない偽りの態度にはことさらに親しみを覚え、また格別の尊敬の念にうたれたものである。
 その翌年と思われるが、重ねてお邸へ伺いしたところ、元帥は成田君今度は揮毫せぬことにいたした。それは近頃自分の揮毫と称して偽筆のものを買っている者が判明したからであるとのこと、君には古い写真であるが一枚差上げようといって、わざわざ奥から一枚のお写真を持参せられ、お渡しを受けたので、私はできたならばお署名をお願いすると恐縮を顧ずお願いしたところ、早速その場で御署名なっされ、しかも成田良策君に贈呈とお書き下され、私は軍神東郷平八郎からこのような御行為にあずかり全く失心せんばかりの嬉しさで、再三頭を下げお礼を申し上げて帰った次第である。
 東郷元帥は智、情、意の三徳のそなわったお方であり、しかも信念の強固ないわば、仏のような方であり神の権化であったと信じている。元帥はつねに天祐神助によると申されていらっしゃったが、元帥の御人格とその至誠一貫の精神は一点の利己なく不純なく、ひたすらその職責をつくし国家に奉仕するのが一念であって、神もお助けせられたことであろうと思われる。
 東郷元帥はまた世界の多くの人々から尊敬せられた方であったと思われる。一例を挙げれば、ある外国武官が自工艦を見学したおり、艦長に東郷元帥の御写真が艦内にないのはなぜかと問われたそうで、説明するのに閉口したという話しがある。また北米カナダの高原の一寒村にトウゴウ村「東郷村」という村があるということであるが、これも東郷元帥を慕う一念より名付けられたものと思われる。


東郷平八郎元帥

礼状1

礼状2

礼状3

川村景明元帥

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